今から8年前、薬物依存症で入所中の施設を抜け出しました。
行くあてもなく自分でも途方に暮れる思いでした。
3日後にたどり着いたのは板橋にある教会でした。
その日から教会の一室で寝泊まりさせていただけることになりました。
そこで4ヶ月間住み込みをしました。
住み込み始めの頃、牧師夫妻の出張で教会が留守になる予定でした。
ひとりになってしまう私をどおしようか考えていたそうです。
台湾から牧師が来る
牧師夫妻の出発の前の日くらいに、台湾から牧師が来られました。
本来中国に向かう予定であったと聞きました。
そんな中で導かれるように日本に行くことを神様に示されて、
日本に行く思いが出てきたそうです。
そしてまさにGod timingで板橋泉教会に訪れてくださいました。
そのことで私は、教会に留まり続けることができました。
この出会いがなければ教会を出て、また彷徨うことになっていたかもしれません。
とても驚くべきことでした。まだ信仰もなく、帰るあてもなく、
お金もない私が、あの時教会を出ていたら今頃どうなっていたでしょう。
今の私があるのは、牧師夫妻をはじめとして、台湾の陳牧師、
私に教会を教えてくれた女性(現在 妻)との出会いがあったからです。
ありがとうございます
本当にとてもあたたかい牧師でした。
道が塞がれ苦しい時はいつも祈ってくれました。
心を触れられる思いで涙を流したこともありました。
いつも聖書を教えてくれました。
父のような恩師ですが、祝福された気持ちです。
悲しいけど、それは、私の誕生日の日に天に召されたからです。
お別れが寂しかった。
また会える日を楽しみに神様に心から感謝しています。
伝道者の書 7章1~6節
名声は良い香油にまさり、
死ぬ日は生まれる日にまさる。
祝宴の家に行くよりは、
喪中の家に行くほうがよい。
そこには、すべての人の終わりがあり、
生きている者が
それを心に留めるようになるからだ。
悲しみは笑いにまさる。
顔が曇ると心は良くなる。
知恵のある者の心は喪中の家にあり、
愚かな者の心は楽しみの家にある。
知恵のある者の叱責を聞くのは、
愚かな者の歌を聞くのにまさる。
愚かな者の笑いは、
鍋の下の茨がはじける音のよう。
これもまた空しい。
聖書 新改訳2017