私はどこでも眠れるようなタイプだけど、
その日はめずらしく夜中の3時まで寝付けませんでした。
最近相談の電話が続き、物思いにふけっていました。
イエス様を信じる前の自分が人の話しを聞くなんてことは
考えられないことでしたが、この日は少し疲れていたのかもしれません。
その時に「今、私は必要とされている」と感じました。
自然にスーッと体全体で自然に受け入れることができました。
「あなたは信頼されている。あなたは必要とされている。」
仕事
職場では、一所懸命やっても報われない、
職場の人間関係に恵まれてない、とか、
人によっては色々なことがあります。
でも、自分のやるべきことをコツコツと
文句を言わずにおこなっていくと、
それを見ていてくれる人が必ずいます。
私の場合だと、自己評価が低いから
あまり周りの評価を気にせずに、
自分のやるべきことを行うタイプです。
そのうち人から頼みごとをされるようになっても
ほかにやる人がいないから頼まれたんだと、
相変わらずのネガティヴ思考です。
こんな考え方では「誰かに頼りにされている」とは
考えられないはずです。
救いは、頼まれたからにはしっかりやろう、
と切り替えられることです。
それ以上の救いは、こんな自分でも
「あなたは信頼されている。あなたは必要とされている。」
と言ってくれる方がおられることです。
それは、私たちのために十字架にかかられたイエス様です。
そのことがわかった時、
なぜこれまではそう思えなかったのかと
自分を見つめることができました。
対人関係
人は誰かに認めてもらいたい、とか
誰かに良い評価をされることを求めることを
承認欲求と言います。
誰しもが持つ欲求のひとつです。
過度な承認欲求には人は過剰に反応し、
悪い結果を生む可能性が高くなることも知られています。
過酷な経験から、人から認められた体験が
あまりないまま大人になっていく人もおられるのです。
でも、だからといって人からの評価を
否定しなくてもいいと思うのです。
とくに自分が生き方を変えて、新しい道に進む時に
これまでの自分の体験から、自分はできないから、とか
自分はダメな奴だからと決めつけてはいけないのです。
あなたは高価で尊い
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ書43章4節
今の自分を大切にして、今のままで必要とされる人であることに
誇りを持って、疑いや邪念をすてる。
不平不満を口にしない。
あなたを裏切らないどころか、あなたのために
十字架にかかられたのはイエス様です。
神様はあなたに信じて欲しいと願っている。
信じても信じなくてもどっちでもいいと
決めているのは自分です。
神様は、あなたに信じて欲しいと思っている。
旧約聖書には[申命記 6章5節]
あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、
あなたの神、主を愛しなさい。と言われます。
あなたに信じて欲しいのです。
人のことも、神様のことも
信じることができなくなっている人が、
信じる力を回復させる奇跡が神様にはあります。
あなたは神様に愛されているのです。