あきらめない

最近、音楽活動をしている後輩に出会いました。
頻繁にライブやYouTubeの投稿もされているようです。
彼と話していて、なんだか先輩っぽいことを言ってしまっているなぁと思ったけど、
それは自分に言い聞かせているものでもありました。

「音楽活動を絶対にやめないで、続けた方がいいよ」「50歳になっても続けたら、レジェンドになるかもしれないよ。」

あとで、一人で考えていた。
これは私が師匠にいつも言われている言葉だと。
「続けなさい」

続けることをやめたらほんとうにそこで終わってしまいます。
私の中である方が浮かび上がってきました。エイブラハム・リンカーン

エイブラハム・リンカーン

アメリカ合衆国16代大統領。アメリカで最も愛され、尊敬される大統領です。
彼の生い立ちを知ると、失敗と挫折を繰り返してもやめなかったというのが印象的です。
幼い頃の母親の死、事業の失敗2回。州議会議員選挙の落選、それも一度ではない。
そこからとにかく落選を繰り返します。26歳の時には婚約者を亡くし、翌年に神経症を患います。
その後も選挙の落選を繰り返し、51歳の時にアメリカ合衆国大統領に選出しました。
まさに、挫折を繰り返してもあきらめない姿を見ているようです。
私は、どうしてリンカーンはあきらめないでいられたのか考えてみました。
勝手な推論でもあるが、やり続けるためには、やめないことは大切なことです。

エイブラハム・リンカーン

自然な努力

渡部昇一さんの著書 「ものを考える人」でこのようなことを書いています。
「努力している、また努力しようとしている、という意識を忘れて、そして自分がやっていることが『自然な努力』であってほしい。これこそが努力の真髄であり、醍醐味なのである」
「『努力して努力する』ーこれは真に良いものとは言えない。『努力を忘れて努力する』ーこれが真によいものである。」
「努力には『直接』と『間接』の二種類がある。『直接の努力』は当面さしあたっての努力、その時その時に力を尽くすこと。『間接の努力』は日頃の準備の努力、基礎をつくる努力である。ある願望を達成しようとして努力しても成果があがらないのは、『直接の努力』ばかりでふだんから『間接の努力』をしていないからだ」

リンカーンも偉大なエジソンも、失敗と挫折を繰り返してもなお、あきらめなかったのは、自然な努力だったのだろうと思う。「絶対に達成して有名になる」「お金持ちになる」なんてことはほぼ考えていなかったはずです。
ただ自分がなりたいように、作りたい物に努力なんてものは忘れて、努力していただけなんだと思いました。

夢中になれるもの

だから続けることは大切です。
努力を忘れて努力してしまうほど夢中になれるものがあれば絶対にやめないことです。

もし、自分には夢中になれるものがない人は、逆にあきらめることも時には必要であることを知っていてほしいです。
「あきらめる」とは「あきらかにする」という意味があるようです。ネガティブに使われることが多い言葉ですが、自分にではできないということがあきらかになることは決してネガティブな言葉ではありません。
そうなれば、道を切り替えたり、新しいことを探すことが可能になります。
そしたら誰かにアドバイスをもらったり、助けてくれる人があらわれたりします。
結果的に人との関わりが深くなったり、広くなったり、自分をもっと知れるようになるチャンスが生まれます。

つまり結果的に失敗や挫折を繰り返しても、あきらめが生じても、続けることをやめないでいたら、必ず幸せをつかむことになります。

イエス様の言葉

明日のことまで心配しなくてもよいのです。
明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。


ーマタイの福音書6章34節ー

私たちのイエス様はこのように語られました。
自然な努力とはまさに信仰です。
自然と毎日を夢中に生きることは、目の前のことにベストを尽くす生き方です。
神様を愛し、人のために生きる。
人が喜ぶことをする、それは後で振り返った時に人のために生きていることがわかります。
今は見えなくても、後で実を結びます。神様は人を愛されているからです。

あきらめない、というのはやめないで続けることです。
でも、あきらめてもいいのです。それはやめることにはなりません。
神様に手放し、結果的にやめずに続けていくことに繋がるからです。

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